起業するまでの人生を振り返る②(暗黒脱出〜草野球編)

目次

CAT起業物語6日目その2🐱

掲示板野球

暗黒をさまよってたある日、僕はいつものようにネットサーフィンをしてました。するとネット掲示板でこんな投稿を見つけました。

「掲示板野球部の森谷が128球完投ww」

僕「ん?なんやこれ?」

ポチっとクリックして調べてみるとどうやらネット掲示板の中でオフ会みたいにして集まって草野球をする会があるということを知りました。

その時僕はこう思いました。

僕「へ〜オタクが集まって野球してんのか〜。よし、俺が行ってギャフンと言わしたろう」と。

そうして僕は久々に野球をする為に毎日深夜にランニングをするようになりました。体重が120kgもあったので最初はヒザが壊れるんじゃないかってぐらい痛かったのを覚えています。なので最初はウォーキングから始めました。素振りやシャドーピッチングも久々にやりました。そうして毎日運動をしていくうちに気持ちが晴れやかになってることに気付きました。

そして、掲示板野球に行きました。大阪城のだだっ広い広場でした。ネットの集まりなのでみんな本名は明かさずにニックネームで呼び合ってました。僕はその頃太っていたので「伊良部」というニックネームでいくことにしました。元ヤンキースの豪速球ピッチャーです。

ヤンキース時代の伊良部秀輝

半分元野球部、半分ただのプロ野球ファンみたいな集まりでした。そして軽いノックの後紅白戦が始まりました。

伊良部さん、野球経験者でしたよね?ピッチャー投げます?」

赤「え、はじめてなのにいいんですか?投げたいです!」

そして中継ぎピッチャーとして1イニングだけ投げることになりました。ビックリしたんですが、3球投げただけでふくらはぎがつりました笑

情けないなと思いつつもそのイニングは投げ切りました。

すると周りの反応が

「すげぇ。。」「球はっや!こんなん打たれへんわー!」「やっぱ野球部やってた人は違うなー」「スライダーってこんな曲がるんや。。握り方教えて下さい!」

という感じでした。

その時僕は自分の存在が認められた気がして、凄く充実した気持ちになりました。

それからそのチームの活動に顔を出すようになり、練習もし、どんどん痩せていきました。そして社交性も少しずつですが取り戻しつつありました。

僕は高1で野球部を辞めて以来、野球が嫌いでした。特に高校野球の甲子園なんかは観ると辛くなるのでテレビを消してました。

しかしそのチームで野球の面白さに改めて気づきました。広いグラウンドで打って守って走る等色んな要素がある。なにより野球を通じて知らない人とでも仲良くなれる。

「野球」が僕を暗闇から引っ張り上げてくれたのです。

大阪城公園太陽の広場

アカシア整骨院の三浦先生

しかし、野球に行ってるうちに昔痛めたヒジがまた痛くなってきました。それとヒジをかばいながら投げていたので肩も痛めてしまいました。

これはマズイと思い地元のアカシア整骨院という所に行きました。

尼崎市南塚口町にある「アカシア整骨院」

そこには人相の悪い坊主頭のめちゃくちゃいかちー人が居ました。

僕「あのーすいません。。肩とヒジを診てもらいたいんですけど。。」

「あーいいですよ。お入り下さい」

拍子抜けするぐらいめちゃくちゃ丁寧な人でした。その人は三浦先生といって兵庫県の赤穂から尼崎の塚口に来て整骨院として独立開業してる人でした。野球談義に花が咲きました。

そして通い詰めて行ってたある日、こう言ってくれました。

三浦先生「あのさー、俺草野球チーム作りたいねんけど自分の力貸してーや」

最初はビックリしましたが、すぐに面白そう!と思いました。それをきっかけに疎遠になってた友達に連絡をしました。

そしてなんとか9人集めて草野球チーム「TKコンタクト」を設立しました。チーム名の由来は三浦先生の友達の派遣会社の名前から取りました。

そしてTKコンタクトで本当に色々な経験をしました。それを全部書いてるとキリがないので端折りますが、主にチーム作りの大変さ、組織をまとめることの難しさ、面白さを学びました。また、初心者が多かったので、「人を育てる」「チームを育てる」楽しさも学べました。今思えばこの経験は今になってめちゃくちゃ役にたってます。

草野球チーム「TKコンタクト」初期メンバー

そしてそれと同時にそろそろ親を安心させる為に就職しよう!と思いました。

しかしそこでも事件が起こりました。。

〜次回へ続く〜

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