起業するまでの人生を振り返る①(幼少期〜暗黒編)
目次
CAT起業物語6日目その1🐱
僕は29歳でネコ防災を作って独立したんですが、それまでの人生を少し振り返ってみたいと思います。僕の人生は「逃げに逃げた人生」でした。ちょっと長くなるので興味ある方だけ読んでください。笑
【幼少期〜中学期】
僕は兵庫県の尼崎で生まれ育ちました。実家はちょっと特殊で神社をやっています。いわゆる「神道(しんとう)」というやつです。巫女さんです。父親はもともと神戸で中学校の先生をやってました。その後婿養子として赤川家に入り、僕が物心がつく頃には神社の指導者として一家を支えてました。

父と叔母は毎日こんな格好で働いています笑
母親も神社を手伝う形だったのでいわゆる親がサラリーマンではない家庭です。毎日袴を着て家の隣の神社に行きお昼ご飯は自宅で食べ、また戻るみたいな感じだったので、「働く」というイメージがあんまりわかりませんでした。
親の愛情はしっかりと受けて育ったと思います。でも小さい頃から僕は将来ここを継ぐのは嫌だなぁと思いながら過ごしてました。
小学校4年生の頃、野球を始めました。身長が高かったのでピッチャーをさせてもらいました。当時はまだ昔ながらの厳しい練習の雰囲気が残っていたのでしんどかったです。でも仲間と1つの目標に向かって努力する事はそこで学びました。
中学校で野球部に入りました。そこで上下関係を学びました。この頃は勉強もほどほどに頑張ってました。
【高校期】
高校1年の夏、僕は人生最初の大きな挫折を味わいました。地元の高校の野球部でピッチャーとして毎日頑張っていたんですが、ひじを故障してしまいました。「関節ネズミ」という症状で、成長期に投げすぎや負担の大きいフォームの影響でひじの軟骨が剥離して水が溜まるというものでした。医者からはもうピッチャーは辞めときなと言われました。僕はピッチャーである事に誇りを持っていたので目の前が真っ暗になりました。


軟骨は完全に剥がれてはいなかったのでその後手術をしてリハビリをして、ヒジの負担の少ないポジション(ファースト等)でもう一度頑張るという選択肢もあるにはありました。しかしその頃僕は野球部の練習のしんどさ、上下関係の大変さ、そして勉強との両立に限界を感じていました。
というのもその高校には特進編成クラスというのがあって普通科6クラスの中でも2クラスだけちょっと賢い子達を集めたクラスがあったのです。僕はその特進クラスにギリギリ滑り込みで入ってしまってました。なので数学の週末課題などの提出物が多く、その頃は本当にしんどかったです。もちろん部活と勉強を両立してるクラスメイトも居ましたが僕には無理でした。そして出した答えが退部届でした。これが1度目の「逃げ」です。

その後野球部を辞めて勉強に専念!とはならずチンタラチンタラ暮らしてました。周りは勉強が得意な子が多かったのでいつしか僕は「特進クラスの落ちこぼれ」と言われるようになりました。
高校3年生になり、まわりは受験モードになったので僕もなんとなく受験勉強を始めましたが結局志望校には受からず、浪人することにしました。
【浪人〜大学中退〜暗黒時代編】
浪人して最初は予備校に行って勉強を頑張ろうと思ってました。しかし、卒業してすぐのある日、高校のクラスメイト10人ぐらいで集まろうということで和食屋かなんかに行きました。
僕は和食屋に早く着いてしまいました。そこで友達を待ってました。しかし待ってる間にこんなことが頭をよぎったのです。「あれ、よく考えたら今から来るみんなは大学に受かってこれから楽しい生活が待っている。いわば勝ち組や。かたや俺は浪人してウダウダやってる負け組なんじゃないんか。。」 そしてこう思いました。「絶対みんなにバカにされる。ここには居たくない。帰ろう。」と。
その後友達からメールや電話が来てましたが全て無視して家に帰りました。これが人生2度目の「逃げ」です。
その後あまり勉強もしてなかったし、人とも接してなかったので普通の昼間の大学は厳しいなと思い、ある大学の通信教育学科というところに行く事にしました。
そこは基本的に家でレポートを書いてたまーにスクーリングという形で通学するというスタイルでした。
学部で言うと法学部だったんですが、僕は講義がまったく面白いと思えませんでした。そして着いていけなくなり、やめることにしました。これが3度目の「逃げ」です。21歳ぐらいの頃でした。
僕はその後いわゆる「ひきこもり状態」になってました。とにかく周りの目が怖くて、一歩外に出れば誰かが自分の悪口を言ってるんじゃないか、変な目で見られてるんじゃないか。と思ってました。鬱だったと思います。

また野球部を辞めてから食事量は変わらず、運動だけしなくなったのでブクブクと太って体重は120kgぐらいありました。ただのデブです笑(ちなみに身長は183cmです)
それもあって周りの目が気になり、浪人中も連絡を取ってた地元の友達ともシャットアウトしてました。そして、いつも部屋のベッドでこう考えてました。「なんで俺だけこんな目に合わなあかんねん…」と。いわゆる被害妄想というやつです。とにかく超ネガティブでした。
そんな生活が1年弱ぐらい続きました。ある時、死のうかな。と考えたこともあったぐらいです。その頃は家族、友人に本当に心配をかけたと思います。
しかしそんな時、あるキッカケで復活することになります。
〜次回へ続く〜