CAT企業物語7日目🐱

起業するまでの人生を振り返る③(不動産〜フリーター編)

不動産屋に就職するもすぐ辞める

就職しよう!と思った23歳の僕はまず父親に相談しました。それまで親とは仕事についてあまり深く語ることはありませんでした。親の神社を継がないといけないのかな?でも面白くなさそうだな。。というのは小さい頃からずっと感じてて遂に気持ちを父親にぶつけました。

赤「就職したいと思ってるんやけど俺は正直家を継ぎたいとは思ってない。自分のやりたいことをしたいと思ってる。」

父「そうか。。それはずっと考えてたことやけど、敬祐がそういうなら敬祐が進みたいと思う道を進みなさい。応援するから」

赤「ありがとう。今までたくさん迷惑かけた分がんばるわ」

そして、僕は仕事を探し出し見つかったのが不動産屋の営業の仕事でした。

理由はただ家から近くてギリギリまで寝れるからというものでした。笑

面接をしたらすぐに受かりました。そして新人研修の初日、江坂にある本社ビルに向かいました。そこで僕を待っていたのは壮絶なものでした。。。

まるでカイジの地下労働施設みたいなところでひたすらお辞儀の練習をさせられたのです。90度まで必ず曲げないといけなくて僕と同時期に入った40代の腰痛持ちの人も強制的に曲げられてました。僕はその光景を見て、「だめだ。辞めよう。」こう思いました。

そしてそのままの足で支店長の元へ行き辞める旨を伝えました。

4度目の「逃げ」です。その頃完全に逃げグセがついてました。

ワーカーズプロ

不動産を辞めたあと僕はまたチンタラするのは嫌だと思い、ワーカーズプロという派遣会社に登録して、派遣の仕事をすることにしました。

そこでトラックの横乗りのバイトをしたり、自販機の詰め替えの補助や引越し作業などをやってました。社会経験がほとんど無かったので苦労したことも多かったです。

ある日僕は倉庫のピッキングの仕事に行ってました。そこでその日一緒になったおっちゃんにこんなことを言われました。

「あんちゃん、あれ知っとるか?なんか機械の前で発報!とか復旧!とか言う仕事!あれ楽でええぞ〜」

僕は「へーそんな楽な仕事があるんや〜」と思い、早速行ってみることにしました。

その仕事は当時豊中にあったビル管理会社の仕事でした。ナビを見ながら会社に着くと作業着を着た人達が居ました。

「はい、これにすぐ着替えて!それですぐ車乗って!」

あれよあれよと言う間に現場に着き、僕はそこで生まれて初めて消防設備というものを知りました。その日の仕事はあの派遣のおっちゃんの言う通り、受信機の前で発報と復旧を言うだけの仕事でした。

この機械の上らへんのランプが光れば「発報!」消えれば「復旧!」と言う

そして帰りの車で社員の人にこう言われました。

「自分、最低限の挨拶出来るし若いねんから派遣なんかせんとウチにバイトでおいでーや」

まぁバイト代も上がるしいいかなと思い、僕は行くことになりました。そのビル管理会社の人達は強烈な個性を持ってました。今でもお付き合いさせてもらってる人もたくさんいます。またお話したいと思います。

またそれと同時期にまたワーカーズプロで消防設備点検の仕事を探しました。

そこで見つかったのが尼崎の電気工事会社の仕事でした。市営住宅の消防点検の補助でした。

そこで僕ははじめて感知器を「あぶる」と言うことをやらせてもらいました。

加熱試験器(通称あぶり棒)で感知器の作動試験をしている様子

仕事内容は特に楽しいとは思いませんでしたが、簡単だし運動不足解消にいいなと思いました。そこで出会った電気工事士の野村さんと長谷川さんには本当にお世話になりました。プライベートでも会うぐらい仲良くなりました。

その後、野村さんと長谷川さんの紹介でライオン電気サービス(現ライオン防災)の井上さんと出会うことになります。井上さんの第一印象は以前お伝えした通りです。今まで僕の知っていた防災屋さんとはオーラが違いました。そして本当にキラキラしてました。

その後僕は井上さんみたいになろうと思ってましたが電気工事についても興味が出てきました。興味が出たきっかけはバイトで行ってた電気屋さんの改修工事にお手伝いで行かせてもらったからです。貴重な経験でした。

そこで長谷川さんの勧めもあってポリテクセンターという職業訓練校に通うことにしました。電気の勉強をして資格を取るためです。そこでもまた色々な出会いがありました。。

次回に続く…

Follow me!

コメントを残す

次の記事

CAT起業物語8日目🐱