コンプレックスとの向き合い方【消防設備士】【防災屋】
目次
CAT起業物語23日目🐱
生まれてから今までをザックリと振り返りました。
「逃げる」ことが多かった人生ですが、そこから学んだ答えが今の僕を形成しているというお話もしました。
しかし、僕は20代前半の頃から5つの強烈なコンプレックスに悩まされてきました。
その5つのコンプレックスとは
- 青春コンプレックス
- モテないコンプレックス
- 野球部コンプレックス
- 学歴コンプレックス
- 貧乏コンプレックス
以上です。ひとつひとつとどう向き合って克服していったかちょっと記していきたいと思います。
青春コンプレックス
大学生活をまともに謳歌せず、1番楽しい時期を家で過ごしてた僕は強烈な青春コンプレックスを抱えてました。
そしてちょっとでも青春を味わおうとして23歳の頃、草野球チーム「TKコンタクト」を作りました。そのチームには地元の友達も居ましたし、京セラドームのバイトで知り合った大学生の子や、別の草野球の知り合い等いろいろな人が集まりました。
チームで試合と練習をして、動画を作ったり、ご飯に行ったり、忘年会をしたり。ある意味サークル活動に近い感じでした。そこでの日々はめちゃくちゃ楽しかったし、チーム作りという良い経験もさせてもらいました。

そして28歳の頃、「M’s BOX」というボクシングフィットネススタジオに携わりました。そこでのレッスンや、イベント、懇親会などは僕にとってある意味青春でした。本当に楽しかったです。
そんなこんなでいつの間にか青春コンプレックスはほぼ無くなりました。
モテないコンプレックス
こいつはやっかいでした。
僕は中学3年生の時に初めて彼女ができましたがそれ以降22歳ぐらいまでずっと彼女は居ませんでした。
それと野球部を辞めてからぶくぶく太っていたので見た目にもコンプレックスを抱いてました。
そこで僕はダイエットをしました。120キロ近くあった体重は数年かけてですが80キロ台まで落とすことが出来ました。
そうすると服の選択肢が増えました。今まで体型を誤魔化すファッションしか出来ませんでしたが、色々試せるようになり、自分に少し自信が持てるようになりました。
ウジウジしてた22歳のある日、地元の同級生の宮田くんに誘われて初めて「クラブ」というものにいきました。最初は人の多さと音楽のうるささ(当時はEDMが流行る前でした)に圧倒されましたが、そこで初めて会う女の人に話しかけるということを宮田くんに教わりました。最初は無視か舌打ちをされてました(笑)でもだんだんと話しかけるタイミングや、ノリに慣れていきました。一時期毎週通うぐらいのめり込んでました(笑)
そこで出会った人きっかけで彼女も出来ました。そんな事をしてるうちに強烈なモテないコンプレックスは少しずつですが、解消されていきました。(もう今はクラブ卒業しましたよ(笑))
野球部コンプレックス
野球部を途中で辞めてしまってた僕は野球部不完全燃焼コンプレックスに悩まされていました。テレビで甲子園を観たらチャンネルを替えたくなるぐらいでした。
しかし、これは前述のTKコンタクトでかなり解消されました。半分以上素人の集まりで経験者が多いチームを倒すのは最高でした。ジャイアントキリングというやつです。
特に僕はピッチャーなので、高校、大学までバリバリのバッターを三振で抑えたりした時はたまらなく快感でした。
しかし、高校の野球部の人達とずっと疎遠でした。人が集まらなくて試合を組むのが大変だったTKコンタクトを解散しようか迷ってた時、高校の野球部の同級生の川内くんと久々に会いました。
そこで話が盛り上がり、川内くんのチームに入れてもらうことにしました。そのチームは地元の高校の元野球部中心のチームだったのでレベルが段違いに高かったです。チーム名は「ノンコンプリート」でした。
そこに入れてもらって試合をしていくうちに、野球部の続きをしているみたいで、コンプレックスは解消されていきました。

学歴コンプレックス
こいつが1番やっかいでした。浪人してなんとか大学に入ったものの、1年で中退してしまった僕にとって学歴コンプレックスはかなり強烈でした。
でもそれにずっと悩んでいてもしょうがないと思い、職業訓練校に通い、国家資格を取り、少しずつ成功体験を積み重ねてきました。
僕の言う学歴コンプレックスとは「学がない」コンプレックスみたいなものです。それを解消する為に新しい事を学び、知識を蓄えていくとそれは薄くなっていきます。
特に歳を取って、独立して経営者の立場になると、より薄くなりました。と逆に低学歴やけど高学歴に勝ってやるぜーみたいな発奮剤にも使えました。プラスに捉えれば一生学ぶ意欲を持てる材料にもなるので、向き合い方次第だと思います。
貧乏コンプレックス
これにも相当苦しめられました。
僕の家は別に貧乏とかではないです。割と裕福な暮らしをさせてもらいましたし、ご飯にも困ったことがありませんでした。
しかしニート期間があった僕は自分でお金を稼いで自立し、生活するのが遅かった方です。
たくさんお金を稼いで自分で裕福な暮らしをするということはずっと出来ませんでした。いわゆる大企業に勤めてる人達に生涯賃金は絶対に敵わないという。それに対するコンプレックスは持ち続けてました。
しかし、今はそれと上手く向き合えてると思います。決して今裕福というわけではありませんが、その欲よりも、CATを大きくする欲の方が大きいです。
もちろん家族を持って家族に不自由の無い生活をさせてあげたいというのはありますが、自分の為に良い車を買って、ブランド物で身を固めて、タワーマンションに住んで、、みたいな欲はほとんどありません。
そんな大金があるなら自分に投資したいです。その方が何倍も価値があると思っています。
お金に対する考え方も最近変わってきました。ちょっと長くなるのでまたの機会にします。
コンプレックスさえもいわばモチベーション
僕の好きなMr.Childrenの「I’ll be」という曲の歌詞で僕の人生を変えるぐらい衝撃を受けた歌詞があります。
腑甲斐ない自分に銃口を突き付けろ
当たり障り無い道を選ぶくらいなら
全部放り出して
コンプレックスさえもいわばモチベーション
この曲のこのフレーズを聴いて衝撃を受けました。コンプレックスさえもモチベーションにしてしまえという考え方は僕の中で革新的でした。(この曲はすべてのフレーズが好きですが)
ミスチルの桜井さんもああ見えてコンプレックスの塊みたいな人です。特に20代の頃の歌詞は内向的な歌詞が多かったです。それについてはまた別で語ります。

コンプレックスを燃料にすると
コンプレックスをエンジンの燃料みたいなものにすると上記の通り爆発的なパワーを生みます。どんどん前に突き進むことができます。
しかしながら、それは一時的なもので、そのコンプレックスが薄れていくと、そのパワーは小さくなり、継続出来なくなるということが最近分かってきました。
解消していくことは快感ですが、それを乗り越えると興味が他に移ってしまうのです。
「検証ジャンキー」になる
これはキングコング西野さんがvoicyで言ってた内容ですが、世の中の満たされてるのに飽くなき探究心でどんどん突き進む人は「これをこうしたらこうなるんじゃないかな?」という仮説を立てて、それの検証をし、結果をただただ観察するという作業に快感を覚える人だそうです。
これだ!と思いました。
僕も最低限の資格と現場スキルで独立し、自分の会社を作りどこまで大きく出来るか?という「検証」を今やっています。その為に仮説も立ててます。(次また民泊ブームが来るのかな?介護福祉施設の仕事をしようかな?等)
そして結果を見て、また改善をする。それをただただ繰り返す。それが今たまらなく楽しいです。トヨタ等の「PDCA」の考え方にも近いと思います。
まぁそんなこんなで、まだまだコンプレックスはありますが、それにずっと目を向けるんじゃなくて、もっと違う角度で物事を見ていくと人生って楽しくなっていくんじゃないかなぁと思ってこれを書いてみました。
明日からも「検証ジャンキー」でいきます。